東京の癒しスポット
時々、東京の癒しスポットってどこかな〜と考えることがあります。公園とか川辺とか、まあそれらしい所はいくつかあるのですが、僕はどこへ行ってもあまり癒されないのです。やっぱり街にある自然って、どう頑張っても、所詮、作り物なんですよね。
そんな中で、お気に入りの場所があります。それが城南島海浜公園。
どこにでもありそうな普通の公園ですが、一つだけ他と大きく違っている点、それは、公園が飛行機ルートの真下にあるということです。
羽田空港は、2〜3分に一回の割合でジェット機が着陸、もしくは離陸しますよね。この公園にいると、とにかく凄まじい迫力で飛行機を目にすることが出来るのです。
爆音を聞いていると、癒されるどころか逆に気分が高鳴ってくるのですが、でもモヤモヤ気分がスカッするので、結果、癒しにつながっていきます。
今日は曇り空でしたが、買い物のついでに公園へ車を回してみました。(自宅からたった25分の距離です)
運良く西側の滑走路が使われていたので、まさに自分の真上を着陸寸前のジェット機が次々と通過いきます。(ちなみに、東側の滑走路が使われている時は、あまり迫力はありません。こればかりは運です)
滑走路に接地する瞬間を600ミリの望遠レンズで狙えば面白い写真が撮れそうだな……とここに来る度に思うですが、いつも撮影の機会を失っています。
ちなみに下の写真は、ポケットに入っていたSONYのサイバーショットで撮影。コンパクトデジカメでもこの迫力です。
おはようございます。
大分出身の方を新宿御苑にお誘いしたら、東京に来て自然を見ようとは思わないとおっしゃいました。
自然と公園を比較される事が良くあると思います。私はそれらはあまり比較の対象にはならないように思います。自然そのままのすばらしさは確かにあると思いますが、田舎の田園風景もつまりは、人間が作り上げたものですし、都会の公園も、知的な設計がなされていてすばらしいと思うところがたくさんあります。聖書によると神が設計されたエデンを人間が広げていくようにと命じられた事が書かれています。つまり神はたくさんの園芸材料と土地を与えて、美しい場所に整えていく仕事を与えられたということです。その記述に当てはまると思える事を聞いた事があります。確か、明治神宮の森だったと思いますが、百年後の木が十分に生長したときの事を考えて設計されているので、今でも木と木が絡み合わないでちょうどよく間隔を保てているそうです。
以前私は写真を見るより、絵を見るより、自然そのものを見たほうがいいと思っていましたが、その事を聞いてから、人間と自然の知的な結合に思いが行くようになり、優れた写真家が切り取った風景のすばらしさにも、優れた画家がアレンジした風景の色も、自然と比較しないで見る事が出来るようになったと思います。自然に振りかけられた人間的スパイスの旨みです。
比較してしまえば、自然の中にある芸術に勝るものはありませんが、比較しなければ、そこには人の意図が見えて芸術の別の分野が感じられます。
・・・私は水元公園が大好きです。田舎から出てきた人でも、ここの公園は好きだという方がとても多いです。設計者が誰かは知りません。設計者が自分の功績のためではなく、ただ人々がのびのび遊べて、ゆっくり散歩して、月や星の光が森の木の葉に注がれる中で、散歩する人々の気配を感じられる美しい場所にしようとした気持ちを公園の木も川の水も良く知っています。
実は吉村さんの写真には、この精神があるような気がしているのです。自分の名声を上げるためではなく、ご自身が美しいものに感動しておられること、また人間に対する優しさや、謙遜さを持っておられること・・・それらが写真集に暖かな温度を加えていると思います。
投稿: masa | 2006年4月18日 (火) 09時39分
私は成田空港近くに住んでおりますので、よく空港には行きます。勿論、飛行機を眺めにです。
爆音と機体を目の前で迫力があり、口をぽっかり開き?
ながら眺めています。また、我が家の上空にも、百里基地から飛んでくる?自衛隊機が低空飛行で時々爆音と共に現れます。
ほんとうにこんな低空飛行で良いのかと?思うぐらいですが、
仕事をしていても手を休めて窓を開け身体を半分出して?まで飛行機を眺めています。
爆音といえば、なぜか?私はサーキットへ行っては心癒します。少し脱線をしますが、いつか?鈴鹿8耐久へ行って
みたいです。筑波耐久はありますが。サーキット内で働いている人たちのことをよく以前は写真に撮っていました。
明日から、山、空、森、桃の花、桜、あんずの花を?撮りに行きます。
投稿: ワイングラス | 2006年4月16日 (日) 23時23分