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2009年11月10日 (火)

大学でスピーチ

中央線の快速に乗って、国分寺にある東京経済大学へ。学生さんたちを前にスピーチを行いました。
すべてがこれからという学生さんたちと接し、自分の19〜20才の頃を懐かしく思い出しました。
あの頃、写真家としての自分の姿は、これっぽっちも想像していなかったな。
あっ、今思い出しましたが、確か高校生の頃は、松本電鉄の観光バスの運転手になりたいと思っていました。今でも観光バスを見ると心ときめきます。
テレビ局のビデオカメラマンに憧れたこともあります。テレビ信州で高校生を対象とした就職相談会があり、そこに1度だけ足を運びました。
何故どちらの夢も諦めてしまったんだろう……。今となっては思い出すことが出来ません。

お知らせ
2年前、高崎市で行った「谷川俊太郎 ことばとアート」展が、島根県出雲市の平田本陣記念館に巡回します。写真詩集『あさ/朝』から、朝の写真を何点か全紙サイズのパネルで展示します。お近くにお住まいの方は是非お立ち寄りください。

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コメント

夢かぁ…

夢は、目標に変えるとグッと近くなりますよね。
吉村さんはいつも目標に向かって生きてこられたのでは?
そして、それを日々達成して生きる、一握りの成功者ですね。

夢が夢のうちは夢のままで終わる気がします。

私も夢はありますが、夢のままで終わるでしょう。

かといって目標もあえて設定していませんがね。

一日一日です。

人生の秋がくる頃に、これで良かったと思えるだけでいいです。

若者に夢は必要かもしれませんが、重要では無いと誰かが優しく語りかけてあげられたら、もっとゆったりと生きられるのではないか…
そんな気がします。

マイナス思考に聞こえるかもしれませんが、ワタシ的には究極にプラス思考のつもりです

 夢と言う言葉は、職業に関して用いられることが多くなりましたが、わたしの夢は、絵を描き、詩を書き、歌を作り、森を歩き、空を見て生きる事です。ほぼその夢の中を生きています。愛する夫の支えと、つつましい生活によって達成しています。
 今の若者たちもわたしたちと同じように、色々な夢を持ちたいに決まっていると思います。でも夢の花を開かせる土壌も、光も、水も、養分も豊かではありません。勇気ややる気があってもそれを支える力が回りにないのです。昔は足長おじさんになりたがる大人がたくさんいました。成功するときまで家賃を待つ寛大な大家さんや自己犠牲的なスポンサーもたくさんいました。今は成功している人たちがそんな風に寛大に若者たちを支えていると言う話をあまり聞きません。まじめに夢に取り組まない若者が増えたことも確かですが、それらは大きな悪循環の中で回されているのでしょう。昔は地位に、善行という飾りがなければ名声とはならなかったものです。
それにしても、一体お金はどこで何に使われているのでしょうか・・・・。昔より裕福なひとは増えているように見えますし、贅沢さも昔とは比べ物にならないほどなのに・・・。若者たちが必要としているのは、それらの富のほんの一滴であり、それによって多くの夢が成長するのではないかと思います。そんな花の咲く社会がいいですよね。
以前すこしだけお世話したニューヨークにいる若者からの電話の中で、この不況でわが社の経営も大変だとさらりと話したら、300ドル送ってきました。びっくりしました。使えないとは思いましたが、喜んで受けたほうがうれしいだろうと思って感謝のメールをしましたら『自分がしてもらったことは、一生かかってもお返しできません』という返事が来ました。それほどのことはしていませんのに・・・。でも、本当に幸福でした。豊かな人たちには、この幸福を何百回でも味わうチャンスがあると思います。感謝の念の深い若者たち、まだまだたくさんいます。それに、そのような若者に育てていくのは、大人としての忘れてはならない務めですよね。社会全体で取り組むべきことだと思います。暖かな社会でありますように。そんな社会なら、吉村さんのカメラも本当に美しい愛情深い風景、美しい人間の気配を感じさせるものを撮り続けることができると思います。

大学生を相手にお話しされて反応は如何でしたか?
職場にも高校生、大学生のアルバイトがいて、沢山見送ってもきました。全体的にあまり何も考えていない子が、多い気がします。自分の中で諦めてしまう場合が多く、意志がないという印象です。私は、仕事以外の事でも大人としての意見を話すようにしています。それが大人として社会にいる責任だと思うからです。
中には、社会に出ても大人になりきれていない社会人もいます。私は、間違っていると思う事は、意志を示します。それでぶつかる事もありますが、性格だから仕方ありません。それを意見として受け入れる事も出来ない奴は、それだけの人間です。
私の周りだけが、そうならよいのですが、心配です。まぁ日本の心配より、自分の心配しろって感じですが…
吉村さんが、若者に語りかける機会がおありなら、語って下さい。良い影響を与えられるはずです。みんなが吉村さんみたいになっても、ちょつと大変かもしれませんが…(^^)<笑>

若い時の夢のまま進まれてたとしても…ぐるっと回って、やっぱり写真の道に進まれてたかもしれませんね。「運転手さん」も「カメラマン」も今の吉村さんと繋がってる部分があるような気がします。人生賭けて「やるべき事」を持ってる人って、大変な事も多いでしょうが、素敵だなぁ~と私は思います。
『あさ/朝』…大好きな一冊です。出雲の土地にも似合いそうですね。あぁ~伺いたい。。。

観光バスの運転手さんにテレビ局のカメラマン。そんな選択を吉村さんがされていたら、それはそれで、それぞれ素敵な未来が拓けていただろうと思います。吉村さんのことですから、全力で励まれたでしょうから。
でも東京へ出て出版社に入り、写真の夢を思い出して旅に発たれた…。
よかったです。
吉村さんの作品に救われた私にとって、写真家 吉村和敏がいない世界なんて、今更考えられません。
辛くて淋しい時にそっと背中を押してくれたり、これからも吉村さんの作品に触れるであろう希望で将来に明るい楽しみが出来たり。
だから吉村さん、お体と運転には気を付けて、長生きして、ずっと私達を感動させ続けてくださいね!
ちょっぴり話が大げさになった感もありますが(^_^;)、正直な気持ちです!
今後とも末永くヨロシクお願いしますm(_ _)m

「夢を諦める」吉村さんでもそんなことがあったんですね… バスの運転手・TVカメラマンの吉村さんを想像→どちらのスタイルもお似合いな気がします でもやはり今のお姿がいいですよ、輝いていらっしゃるし

19~20才☆そんな頃も自分にあったなぁと。あの頃何でああしなかったのだろ?と後悔も出てきそうですが、その前に今をしっかり過ごさなきゃ 最近20才前後の方の会話を聞くと、わっかいな~!と年齢を感じさせられます 自分もそれなりに年齢を重ねてるんだと(笑)

出雲市☆3月になら行く予定があるのですが、2月まで…惜しい 
信州の写真展 その頃、全国どこに居ても必ずお伺いします!3~4年後、私何してるんだろ… 吉村さんを見ていると、私も目標・計画を立てなきゃ!と

お疲れさまです。バスの運転手でもなく、カメラマンでもなく、写真家になったのって、見えない何かに導かれていたのかもしれませんね。思い切って海外に飛び出して行った吉村さんてカッコイイって思っています。当時は、何の保証も確証もなかったですよね?若いから出来たというだけじゃないと思うし。一つ信念を持って行動出来るって、やっぱカッコイイです

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