今日のブログに関して
夜、仕事仲間3人とお会いし、打ち合わせを兼ねた食事をしました。明日発売のiPadの話題にもなりましたが、出版の現場では、僕らが考えている以上に冷静に受け止めているな、という印象を受けました。もちろん、iPadを利用した表現に関しては、どの社も数ヶ月も前から準備をしており、あとはスタートを待つだけのようです。
いずれにしても、iPadの登場は、誰もが世界に目を向けられるチャンス、と捕らえ、燃えていました。
実は僕自身も、iPadを使ったある一つの表現を模索中です。まだ時間が掛かりそうですが、正式に発表出来る段階になったら、真っ先にこのブログで書こうと思います。
さて、今日のブログに関して、朝からたくさんの批判がメールで寄せられています。考えた末、あえて半分にカットすることにしました。文はその時の本音を伝えています。だから一度書いた文章に修正を加えたくはないのですが、ブログ開始5年目にしてはじめてそれを実行します。(今でも次々とメールが送られてくるので、、、)
ネットだけを利用した人と人とのコミュニケーションは、いかに気持ちの伝達が難しいか、ということを、あえてストレートな文を書くことによって伝えてみようと思いました。だから朝、更新したわけです。でも、それが結果としてたくさんの批判メールに繋がりました。
今、70通以上届いたメール(実名は2通だけでした)をすべて拝読し終えたところです。
人によって、色々な捕らえ方、考え方があると思いますが、でも僕は、作品作りの現場では一切の妥協はしません。何かを生み出す時は、緊張感を感じるくらい意見を戦わせないと、クオリティの高いもの、心に響くものは決して生まれて来ないのです。
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コメント
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訂正→セルフは間違いで、正しくはセリフです。すみません。
投稿: アリタリア航空 | 2010年6月 1日 (火) 23時33分
おじゃまします。投稿名Alitaliaです。お久しぶりにブログを拝見いたしました。思いきってコメントいたします。
ご機嫌いかがですか?そしてお体は万全ですか吉村さん?何か一石を投じるセルフでも言いたい気分ですが、なぁんちゃって。
私の個人的な意見ですが、人間完璧な人はいないと思っています。吉村さんのように知識や経験が増えるにつれ、物事を斜めに見たり、冷めた目で見たり、いろいろな角度から物事を見ることは大切なことだと思います。吉村さんのカリスマの秘訣みたいなところも、ちょっと破天荒っぽいところも「いい意味で」私は好きですよ。常識を破るかっこよさ、みたいな。単に、非常識な常識破りの行動をするというのではなく。常識を打ち破ったところにかっこよさが生まれるもので、常識破りな、華やかで目立つことも、たとえばみんなが真似ればそれは常識になる、なぁんて。私は華やかなもの、目立つものに憧れます。きっと心の中に何かを打ち破りたい欲求が潜んでいるからだと思います。吉村さんの強い意志もまた、才能のひとつ。シンプルかつ明確な竹をスパッと割ったような言葉も、私はあらためてハッとなります。人に流されることなく、自身で決める意思、それを貫く力を持てるのも才能のひとつだと気づかされます。意思が強ければ抵抗することも可能なのかもしれませんが。吉村さんの懸命に生きてるところ、気品は高いと思いきや、当たり前だけど喜怒哀楽があり、それを写真に昇華させる表現力豊かなところ、とても魅力的だと私は思っていますよ。日常の小さな困難も冷静な判断で乗り越え、痛みも知り、愛情深く聡明な吉村さんは、まさにあっぱれな男性だと、私は思っています。
事の裏に隠された心情を思うとほんの少し胸が痛く切ない思いにかられたりもしますが。
きっときっとたくさんの人の瞳が、吉村さんの背中を押してくれています。
どうか、今まで同様、進みたい方向をまっすぐに見つめてくださいね。
最後に人を動かすのはその、ひ・た・む・きな瞳だと、私は信じています。
遠く影ながらご活躍・ご検討をお祈りしております。吉村さん、I wish you good luck!
投稿: アリタリア航空 | 2010年6月 1日 (火) 23時15分
遅ればせながら、先日届きました、吉村先生のサイン入り『PASTORAL』を観賞させていただいております。
そして昨年度のブログを振り返って拝見してみました。
皆様のたくさんのコメント通り、とても素晴らしい作品集ですね。
初めて表紙を目にした感想は、まるで美術作品みたい、です。
写真展へ行かれた方々、すご~く、うらやましいです!
超ビッグパネルでの作品の数々は、美術館で展示されている名画以上に感動的なのでは…と想像しています。
吉村先生のサインは美しい筆文字ですね。
先生の文章には、ブログとはまた違う、チカラ強い印象をもちました。
以前のアジア取材記で「またいつか何かのかたちで発表します…」(みたいな感じでした)と拝読した記憶のある内容らしき部分がありました。
ネット上ではなく…という意味だったのかな?と今は気付きました。
先生の講座でのお話しは、アーティストとしてのまっすぐな生き方や、何よりも芸術性を最優先にされる熱いお気持ちが伝わってきました。
同じであってはいけない、人とは異なる狭き道をあえて進まれるというような…
『PASTORAL』のように、宝石のごとき輝きのある書物としての作品は、たとえ100部数で高価になろうとも、すぐに在庫なしとなるのでは?と心配になってきました!
一生の大事な宝物になりました。
投稿: Miyu | 2010年5月31日 (月) 22時33分
久しぶりにお邪魔しましたらいろいろおありになったのですね…。
私も吉村さんのブログですから吉村さんが日頃思われていらっしゃることを書かれてよろしいかと思います。が、影響力も大きく、そう自由にもお書きになれないのだ、と思った次第です。(上手く言えずすみません)
ネットのやり取り…相手の方のお顔が見えない分、難しいと日頃考えている1人として考えさせられました。
投稿: ねぎお | 2010年5月30日 (日) 20時06分
どんな職業にもいえることかもしれませんが、自分が携わっているものの歴史を学ぶ事、それを含めてすべて吸収しようという気持ちが、その最先端である「今」を生きることに繋がっていくのだと思います。
ブログというのは、日々の感じたことなどを綴る、あくまでも個人の日記のようなものですよね。この度の反響の大きさは、それだけ吉村さんのブログが、多くの人から注目されているという事なのだと改めて思いました。
それでもあえて本音をぶつけ、声をあげた吉村さんの思いは、ipadの登場という歴史的瞬間を前にしたこの機会に、新しい文化をまた次の世代へと伝えゆく若者達へのメッセージが込められているようにも感じました。
文章だけのやりとりではうまく伝わらないこともあったり、時に誤解が生じたりということもあるかもしれません。 仕事でもプライベートでも、メールで済ませたくない・済ませてほしくない事ってありますよね。とにかく「直接会って語り合うこと」ってすごく大事なことだと思います。人との直接のぶつかり合いの中でこそ成長もあると思うし、そうでなければ、人と人との本当の意味での結びつきも生まれてこないと私は思っています。
私は今あるイベントの企画に参加しているのですが、皆が本気でいいものにしようと思わないと最高のものにはならないし、誰か一人でも妥協しようとしてしまうと、全体に緊張感のない空気になってしまうのです。
吉村さんのお仕事の現場では、それこそ馴れ合いではなく、きっとプロ同士の「膝づめの議論」が熱く交わされていて、そういったコミュニケーションこそが良い仕事・本物を生み出し、相手との信頼関係も築かれていくのではないでしょうか。
やはり吉村さんのような人が、本物にめざめた若者たちから目標とされ、憧れられる存在なのだと思います!
今この瞬間の吉村さんの視点で、ありのままの思いをこれからも、私たちに聞かせていただきたいです
投稿: なつみ | 2010年5月29日 (土) 14時20分
かなりの反響があったようですね。メールに全て目を通したという吉村さんの対応には頭が下がります。
とにかく、このブログが炎上しなくて良かったです。長く続いているブログは、主催者の対応が上手くて、かつ、レギュラー読者の質が良いことが共通の特長だと思います。そういう意味ではブログって主催者ひとりではなくて読者と一緒に育てていくものなのでしょうね。
投稿: リッチー | 2010年5月29日 (土) 00時22分
皆さんのコメント読ませていただきましたが、このコメントの前の21件には吉村さんを批難する内容ってないですよね…
70件を超える匿名メールを書いた方の今のお考えが聞きたいと思っていたのに残念です。
批難された方も、信念を持たれて書かれたのでしょうから、是非ご意見が伺いたいと思っております。
投稿: 花水木 | 2010年5月28日 (金) 23時46分
何がそんなに大騒ぎになったのか腑に落ちません。思い出してみると、削除されたというところで、私にとっては「我が意を得たり」の内容がありました。その辺りを批難した人が多かったのでしょうか?ネットというツールが始まる前から、人と人との意見の相違ということは当たり前にあったのですが、ネットの特性として人の意見を批難しやすい環境ができてしまっているのだと思います。ネットの書き込みには一定のルールが必要ですが、利用者一人一人が冷静になって築いていくべきものだと思います。
投稿: ONO | 2010年5月28日 (金) 20時47分
ものごとの基本というか、「目的は何か、どういう経路をたどってこうなっているのか」が忘れられがちなのは、コンピュータの世界も同じこと。ほんの十数年前は「つなぎっぱなし」なんて考えられなかったから、ホームページもメールも極力サイズを抑えるように努力していました。回線速度が飛躍的にアップして、動画や音声をいつでも配信できるのは良いことだけれど、シンプルですませられるものはシンプルに、という基本は、今でも意識する必要があると感じます。ものごとを伝えるには、Flashで派手に動かすトップページよりも、ビシッとキメた短いキャッチコピーのほうが効果的な場合もあるはず。あれこれ検討して最終的にFlashを使うとしても、文字だけで伝えられるかどうかを考えることは、今でも意味があるはずです。
たぶん同じようなことを、吉村さんも感じておられるのだろうなと思いました。
ホームページ作成もデジタル写真も、いろいろな技術があるから、目的も意識せず安易に使ってしまい、何を伝えたかったのかが逆に見えにくくなってしまう。携帯電話も同じことで、四六時中「なんとなく」つながっているから、あれこれ工夫して全力で伝えようとしなくなり、コミュニケーションを便利にするはずのツールが、逆にコミュニケーション能力の低下につながっている。
要するに「携帯電話にしろデジタル写真技術にしろ、便利な道具は、そもそも何のために作られ、どう使うかを意識して使わないと、人間の本来持っている能力を低下させかねない。それをちゃんと自覚しましょう」ということなんだと思うのですが、「単に若者のコミュニケーション能力不足をぼやいている」と受け止められてしまったみたいですね。
ちなみに、名刺の件は、半分は冗談交じりだというのが一読して分かるので、なんで目くじらたてるんだろう?と不思議に感じました。ひょっとして、吉村さんがいつもマジメだから、冗談と解釈してもらえなかったのかも(笑)
投稿: LUNA CAT | 2010年5月28日 (金) 20時43分
いつも吉村さんのブログ見ています。今回初めてコメントさせてもらいます。わたしもまさのりさんと同じことを感じます。わたしは二十代後半ですが、十代の子供たちと話すとき、壁をかんじるこてがあります。逆に自分が十代だった時のことを思い出すと、やっぱりすべての大人ではなかったけれど、壁をかんじていました。ある壁はしょうがないです。自分のことをたくさん知ってもらって、相手のこともたくさん知るために沢山お話しをするのが一番だと思うし、わたしはそれがコミュニケーションだと思います。コミュニケーションで自分は育てられたし、コミュニケーションでほかの誰かを育てているはずです。社会はそういうひとりひとりの心の現れです。
吉村さんが、ご自身のブログでどんな発言をしようと、どんなに批判攻めになろうと、腹をくくり切って全て請け負う覚悟があるわけですから、これ以上の意見は持ちません。わたしは吉村さんの写真好きです。これからもブログを読みます。
投稿: すざく | 2010年5月28日 (金) 19時35分
私は72年生まれなので30代と40代の違いはあれど吉村さんと同じ世代だと思いますが、私は年配者も同じようにコミュニケーションが下手だと思います。
なぜ人に伝わるように語れないのか。
時代が多様化してきているのになぜそれを理解できないまま、もしくは対応出来ないままただ若者を批判しているのか。
極端に言えば、海外へ出てなぜ日本語が通じないのかと言っているような感じを受けます。
表現方法も言語も変わってきているのだから、それに対応しないと通じにくいのは不思議ではないと思います。
現に若者同士、年配者同士はコミュニケーションが取れているのですから、時代が激変した時に生まれた溝、もしくは壁の部分を両者が越えられていないだけのように感じます。
投稿: まさのり | 2010年5月28日 (金) 17時45分
吉村さん、今回はたいへんな反響になってしまいましたね。
でも、いつも吉村さんの作品や文章を拝見し、時に直接お話ししたことのある私や、ここにコメントを寄せる多くの皆さんには、吉村さんのお考えがただの批判ではないことは十分に伝わっていると思います。
今回はブログの一部削除という結果になってしまいましたが、これからも吉村さんの率直なお考えを発信し続けてもらえたらと思います。
頑張ってください!
投稿: mari | 2010年5月28日 (金) 14時35分
吉村さん、頑張れ~
表現者 吉村和敏として悔いのないように(愛を持って)
親や私たちよりずっと上の世代の方たちも、同じ思いをされてきたんでしょうね。今度は私たちの番ですね。
さてさて、iPadは受け取れましたか?
投稿: W | 2010年5月28日 (金) 13時24分
お~い がんばれ!!
自分のブログだ、言いたい事を書けばそれで良し。
これからも楽しみに拝見させてもらいますよ。
信州松本市より、同郷人へ応援メッセージです。
投稿: kiwipapa | 2010年5月28日 (金) 11時35分
吉村さん いつもお疲れ様です。
昨日は、大変だったのですね。
削除される前のブログを拝見しましたが吉村さんがその時の本音で書いてらっしゃる文章、とてもいいと思います。大好きです。
たくさん旅をしてたくさんの人とふれあって、人のあたたかさも怖い思いも孤独も経験されて人と関わることの大切さをわかってらっしゃる吉村さんの言葉、どこか温かくてとっても重みがあると思います。
確かに携帯電話だけの問題では、ないのかもしれないですが反響が大きいのは、考え方は色々でも何かが違うと思っている方がたくさんいらっしゃるという事なのでしょうね。
これからも楽しみにしています。
頑張ってくださいね
手にされたipadの感想も楽しみにしていますね。
投稿: akemi | 2010年5月28日 (金) 09時29分
9:21 masaでした。
投稿: masa | 2010年5月28日 (金) 09時25分
削除されたblog、読んでいませんけど、ひとこと!
匿名の批判メールが大多数とのことですが、自分の心に正義が確かにあるのなら実名を書くべきですよね。
投稿: hikarin | 2010年5月28日 (金) 09時24分
批判されていることなど公言したくないのが普通かと思いますが、吉村さんの正直さですね。そこがきらりと輝くところだと思います。私は時々吉村さんとは違う意見を持ちますが、批判ではなく考えが異なるだけのことで、異なる意見を述べさせていただけるこの場所は、居心地が良いと感じています。
文化の継承の役割は、主に大人の側が担っていると思います。良い文化を引き継がせたいと思う大人は、その文化の価値を自分自身でよく認識し、それが確実に引き継がれるのを見届けると思います。受け継ぐ側が文化の価値を認識して初めて、その文化は正しく継承されていくと思いますが、その引渡しには、文化を愛する心と愛情をこめて毅然と教えていく辛抱強さ、相手の心を開いて心地よく受け入れさせていく技術も必要だと思います。文化の担い手は人なので、人を大切にすることは良い結果になると思います。ただ・・・あっという間にレコードが廃れてしまったように、新しい文化に取って代わられるものがあるのは仕方のないことかと思います。巨人の肩に乗って発明、発見したいと思うのは人間の基本的性質なので・・・。
昔、まだテレビのないころ、幻灯というのがありました。わくわくしてみたものです。思い出の中ではまだ甘さを保っていますが、廃れてしまいました。写真が発明される前は「絵」だったと思いますが、絵は廃れてはいませんね。歴史はいろいろなものを登場させましたが、舞台上で短命なもの、長く残るもの、いろいろですね。
携帯電話はコミュニケーションの道具であり、携帯できる電話、また手紙の代わりとして使うなら、良い目的を果たすと思います。子供たちであっても。
でも、便利さは『使わなければ損』とでも言うかのように、私たち(大人も子供も)をあおります。さほど必要ではない電話、メールが多くなり、それらはかなりの時間を奪います。時間がなくなると焦りが生じ、集中力が欠け、能力を低下させたり、事故や失敗も増えます。売り手側は、できるだけ使って欲しいですし、新しい機種に常に飛びついて欲しいですし、自社製品だけを使って欲しいので、大変な競争の中で人々の心をつかもうと必死になって魅力的なものを生み出していきます。それに乗せられている消費者の側も、すでにそのビジョンの担い手となっており、「必要ないでしょう」などというと、売り手ではなく買い手の側からの攻撃を受けるか、冷たく無視されてしまうほどその世界はしっかり構築されています。ですから、個人個人が自分の将来を見据えて、将来の自分に対する良い投資となるかどうかなどを考えて『時間という資産』を使えるように、今の文化また文明と冷静に対峙するのが良いかと思います。
規則で規制する必要があるものもたくさんあると思いますが、まずは親や大人が、規則がなくても賢く暖かく愛情深く健全に生きる模範を示し、そのように育てていく必要がありますね。大変でも。
投稿: | 2010年5月28日 (金) 09時21分
残念です。。消えてしまった部分…親しみのある方へのチョット乗りの良いジョーク??に感じ、楽しかったです*が。。批判したくなるのは自分の心の奥底に潜む恐れや、弱い部分だったりしますね。。
本音を上手く伝えられる方は魅力的ですよね~**
私も・・これってチョット変~??・・おかし~い!!と思ったら言いたくなりますが、観えない相手にネットや文章で伝えるのは難しいですね。。余程波長が合わないと…反撃され撃沈しそう。。。
本音をだせる相手・自分らしくいられる場所・どれだけ真剣に誠実に向き合えるか、お互い解り合おうと共鳴しあえるか…信頼関係を結ぶこと…それができると幸せですよね~**
ず~っと求め続けてきましたが、それは求めるものではなく、自分が無理せず、自然体でいたなら、繋がってゆくものなのかもしれません。。
投稿: 紫月 | 2010年5月28日 (金) 09時19分
たくさんの匿名の批判メール、そして初めての削除…考えると胸が痛いです。
実際に顔を合わせてコミュニケーションしなければ伝わりにくいこともある…大事なことを実感させていただきました。ありがとうございます
実際の現場では、それこそ当事者にしか知り得ない熱のこもったやりとりが繰り広げられてるのでしょうね。そして、言葉以外の「大切なもの」もやりとりされてるのでしょうね…。
文章の隙間から、そんな熱い空気が伝わってくるようです…
投稿: 和世 | 2010年5月28日 (金) 07時12分
人間ですから、言い過ぎた時も 怒ってしまった事も、悔しくて泣きたくなる事もあります。
明日は 気持ちを切り替え 前に進むしかない。
笑顔を共に。
完璧な人なんて そういるものじゃないから、そう思ったら、少しは優しくなれる。
投稿: サラ | 2010年5月28日 (金) 02時55分
ブログの件お疲れさまです
たくさんの人が見るけど吉村さんのブログだから、何を書いてもいいような気がしますが、やはり影響力があるから、何かと制限しなくてはいけないのかもしれないですね
私は吉村さんのブログを、毎日の楽しみの一つとして見てます
パソコンの話しとか、難しくて全然分からないですがそれでも、毎日の吉村さんの意見や考えを知ることができるので楽しいです
もちろん、写真が載ってる時はさらに楽しいです
これからもブログ楽しみにしてます
昨日も今日も明日も、これからもずっと大ファンです
毎日元気にお仕事できるよう願ってます
ファイトファイト
エイ・オ
投稿: sakiko | 2010年5月28日 (金) 01時56分
ブログの文章、出来ればカットしてほしくなかったな。私は会社のお昼休みに読みましたが、普段思っていることが書かれていたので、何だか心地よかったです。
吉村さんは、若者や新人さんに指導なんてしなくていいのです。無駄なものはどんどん削ぎ落とし、我が道を突き進んでいってください。だってそれが本物のアーティストでしょ。でもお爺ちゃんになったら、先生になって色々と教えてくださいね。それが受け伝えていくということだと思います。
投稿: KoKo | 2010年5月28日 (金) 01時18分
今晩は。なんかちょと大変な事になっちゃたみたいですね・・。
いいと思いますよ。それぐらいの強気で。
アーティストはそれぐらいではないとだめなんじゃないかしら。ただ名刺の件はちょっときつかったかな・・。
コミニケーションの件は、時代が急速に変化しましたよね。小1の授業参観がパソコンの時代です・・。携帯電話はどうなんでしょう・・。すごく考えさせられます。
昔、交換日記なんていうのがはやりましたよね。仲がいい友人、あるいはボーイフレンドと。悩みとかその日あった出来事を書いて。それが今でいうメールにあたる感じですかね。
携帯はなければないで、どうにかなると思いますので、とりあえず吉村さんの言うように制限をしてもいいのかなと。
花水木さんのように携帯をとりあげるだけですむ問題じゃないとも考えてみたり。
なんだかとても考えさせられました。
投稿: ライラック | 2010年5月28日 (金) 00時54分
色々と思う事はありますが…。
これからも変わる事無く『写真家・吉村和敏』を応援させて頂きます。
投稿: まー | 2010年5月28日 (金) 00時37分
こんばんは。今もこうして様々な旬の知識を教えていただいている事感謝をしています。はるか昔に真剣に懸命に教えていただいて良かったなってしみじみとした懐かしい思い出としてしまっている事もあります。いくつもの新しい時代を経ようとも皆人の命の根は、ぬくもりや基本や文化や伝統をあたためてそしてまた次の時代へと伝えていくと信じたいなって思いました。そして自然風土、様々な言葉に宿る言霊、深い孤独、人の手による作品からおのずと気持ちが救われることも得がたい大切な事だなって思いました。大事な家族を深く深く思い、そして自分自身がいくつになっても大人になりきれなくていつもふりかえりふりかえりの日々だから…。これからも吉村様の描かれる風景に彩りをそえていただきたいと願っています。イタリアとても楽しみにしていますね。どうぞお身体にお気をつけてくださいませね。
投稿: アドリア海 | 2010年5月28日 (金) 00時31分
吉村さんが、始めからこのような反応が起こる事をある程度想定されて書かれたのは感じました。
思い切って書きましたという文章から窺えました。
吉村さんは、皆さんに対して問題提起をした訳ですよね…
いいのではないですか?
私も沢山の方たちに、今の若者たちについて考えてみて欲しいと思います。
今の若者たちは(若者だけでなく自分も含めて)自分に対して甘い部分が多いのは事実であり、ご自分に厳しい吉村さんがそれに対して苛立つのも無理のないことだと思います。
その苛立ちを表現するのに、名刺うんぬんというものになったのでしょう。
私もコミュニケーションのとれない子達を沢山知っていますが、彼らは愛されるべき存在であり、携帯電話のせいだけで終わらせて欲しくなかっただけです。
これを機に、ほんの少しでも皆さんが問題点として考えて頂ければ、私は幸いだと思います。
投稿: 花水木 | 2010年5月28日 (金) 00時28分
吉村さんの言わんとしていた事は、ずっとこのブログを拝見してきたり、エッセイ集を読んだり、吉村さんご本人の講演会等で何度かお伺いして話を聞いて、理解しています。
吉村さんの写真への情熱や拘り、妥協を許さない本物の追及への努力など、筆舌に尽くせない沢山の経験と実績がありますよね。
だから、吉村さんのプロ意識が妥協や安易な姿勢や考えに甘んじたくないということに繋がっているんですよね。
これからを生きる若い世代の方々は、時代の移り変わりに生きていて、たくさんの複雑な社会で生きていかなければならない時代だと思いますが、真摯に物事を考えたり物事の本質をしっかり捉えたりする生き方を忘れないで生きていってほしいなと切に願っています。
私の息子も大学生ですが、世の中の矛盾や大人達の無責任さに呆れていると同時に現代っ子なので、簡単に物事を考えたりする傾向があるので、これから社会の荒波にもまれ、いろんな経験を積んで大事な事はどんなことなのかなどを考えさせられながら生きていくんだと思います。
吉村さんのように、真摯に真っすぐに自分の生きる道を頑張りぬいてきた大人の話は絶対に説得力があると思っています。
これからも頑張ってくださいね(^-^)
投稿: yuuko | 2010年5月27日 (木) 23時58分