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2010年7月28日 (水)

写真を寝かせる

今日もちょっとした写真選びの仕事があり、写真を先方に送りました。
たとえば各国から2点ずつ、合計で20点の写真を送ってください、というような仕事が入った場合、僕は、その仕事をいっきにやることはありません。
写真選びで5時間掛かるとしたら、その5時間を一度に取ることはなく、1時間ごと、つまり5日にわけでやるのです。
なぜなら、人の心ってよく変わるから。
よし、完璧だ、と選んだ写真でも、翌日改めて見てみると、どーしてこんな写真なんか選んだんだろう……と首を傾げることがあります。
だから仕事が入った時点でまずは粗選びし、数日後に選び直し、また数日後に選び直す……。これを続けていくと、やがて、「もうこの選びしか考えられない」という完璧なものに近づいていくのです。

文章の世界では、これを「寝かせる」って言います。書いた文章を1週間後に改めて読み、そして書き直しを行う。
まあ僕は文書のプロではないので偉そうなことは言えませんが、そのように何度も推敲を重ねた作家の文章は、やっぱりいいですね。本を読んでいてすぐにわかります。

ブログやtwitterは、これとは全く異なる表現のスタイルだと思います。閃きをすぐに文や写真にして人に伝えていく。すべてが直球勝負。これはこれでまた違った面白さがあるので、今、多くの人がはまっているのでしょう。

昨日のブログで多くの方からコメントをいただいた「紙への拘り」に関してですが、紙の本は、編集があり、印刷があり、製本があり、そしてようやく本として形になるのです。それほど手間が掛かる世界。人だって、何十人も関わっています。
だからこそ、僕は、ブログやtwitterっぽい文や写真を本にするのは間違っていると思います。
今、写真集売り場に行けば、たくさんの写真集が並んでいますが、僕は今流行の「ブログやtwitterっぽい写真」は好きじゃないかな。たとえそれが「新ジャンルのアート」と言われても、自分の心に響かない作品は苦手です。まあ、今の日本文化として、一応は受けとめていますけど(笑)。

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コメント

「寝かす」事で飽きてしまう写真がないのは、昔のアルバムを見返した時に実感しますね。フィルムでした、バカチョンと読んでた使い捨てカメラ、現像に出す楽しみ。私は昭和62年生まれです。アナログの温かさは最高の技ですね。

昔ながらの紙の文化って、ずっと続いていくと思っているのですが…電子の世界が出版界を、より価値ある存在としてバックアップしてくれるきっかけになればいいな…と感じています。

先生の写真集は、多くの方々により、たくさんの手間暇をかけられた至極のアート作品なのですね。
現在、私たちが宝物として手にすることのできる状況より、本来は少なくとも10倍くらいの輝きが宿っていると思います。

木から生まれた紙の文化、現代日本は、とても「本」に恵まれてきたのですね。
素晴らしい書籍には、上質な美しい紙がよく似合うと思います…

☆先生ご推薦の、紙と相性抜群な?ジェットストリーム!知りませでした…持っておりませんので、探してみます

今回の記事とてもよくわかります。

写真を寝かせるという意味も・・・・。

日を置いて何回も考えてみます。

吉村サンの写真選びの流儀なのですね。「写真撮影」は直感で撮るイメージですが、管理や選択は 吟味して 冷静に判断されているから、吉村マジックが起こり、作品が素敵になるのですね。
写真を寝かせる。
文章を寝かせる。
私も 仕事だけでなく、いろいろな場面で 意識し、行動してみます。

ブログの書き込みは 確かにヒラメキで書いています。考え、書き込みした時と 翌日(冷静に)読み返し、誤字脱字の時はお恥ずかしいのですが、(スミマセン…) 自分がこう感じ思っていた事に気づかされます。
書くことは とっても大事だと思います。

「ブログのような写真集」想像ですが、日常的な写真に コメントが上書きされているような本でしょうか。
写真とコメントで成り立つ価値の物というジャンル。別物だと思います。それはそれの良さもあるかもしれません。
しかし、私は 風景はじめ写真に文字を上書きすることは、せっかくの大事な写真にありえないかな。と感じます。
私の価値観です。

吉村サンの写真集は、その土地の吉村サンらしい捉え方と時間とたくさんの手をかけ、完成しています。
永く読み継がれる作品だと 思います。

私も、mariさんと同じに吉村さんには、とても感謝をしている一人です。花水木の花言葉に返礼というものがあり、少しでも、この感謝の気持ちを伝えたくつけた名前です。
私が、このような気持ちを持つのは、吉村さんが表現し、発信している作品と言葉の力から来るものだと思います。
そこには、吉村さんの考慮や吟味を積み重ねたものから出る力の結晶があるからなのかもしれませんね。
私には、吉村さんのおっしゃる「ブログやTwitterっぽい写真集」というものが、どのような物なのかよく分かりませんが、私は世の中に、いろいろな物があっていいのではないかと思いますが…この情報化社会の中で、それを選択するのは、買い手であり、作り手であり自由なのではないかと感じます。
生きていく道の選択がひとりひとり自由な様に、何が正解なんてないのではないかって思うのですが…
もしかしたら、そのお手軽な写真集を手にした人が、本格的な写真集を手にするきっかけになるのかも知れないではないですか…如何でしょう…
いろいろな個性があるから生きているのが楽しいって、今、私は痛感しています。
吉村さんの強烈な個性も大好きですよ。だから私も負けずに頑張ります。
休み時間という短い時間に書かせて頂いたので、上手く伝わるか分かりませんが、吉村さんの思い通りに自由に生きて頂きたいというのが、私の願いです。

吉村さんは、写真選びにもお時間と手間を十分にかけて、必ず完璧な選択をされるのですね。
写真集や写真展では、そのこだわりぬかれた目でよりすぐった作品達が集められ、紙質や照明、レイアウトまで徹底的に考えぬいて発表されているのだと、改めて思わされました。
だからこそ、作品を目の前にした時、強烈な印象が私の中に飛込んでくるのだなぁと…。
吉村さんの文章、大好きです。ツイッターの飾らないつぶやきも微笑ましくて(失礼)楽しいですが、写真集で作品一点ずつに添えられた短い一言ひとことが、初めて吉村さんの写真集を拝見した時、私には強烈に響いたのです。
もちろん作品も素晴らしかった。でも、その上、作品に寄せられたたった一行の言葉が、吉村さんのお人柄と、その光景を暖かく見つめる眼差しを感じさせるようで、それ以来「吉村和敏」という写真家が大好きになりました。
私の胸をうつ感動を同じように感じる(もちろん本当はもっと深く、違った気持ちなのかも知れませんが)人がいたんだ!と、心から感激しました。
その頃私はちょっと弱っていたので、このことで「ひとりじゃない」って救われた思いでした。
あの日から、写真家 吉村和敏は、私の人生の一部になりました。ちょっと大袈裟な表現かも知れませんが、今はそれがぴったりな感じです(u∀u)。
吉村さんと、その作品達に出会えて、本当に良かったです。

昨日に引き続き「なるほど」です。文章も写真も寝かせること(手間と時間をかけること)が大切なんですね。
だから吉村さんの写真集は何度拝見しても飽きることなく、むしろその時々で、新しい魅力を発見できるのかもしれませんね。生きてるみたい…
私も仕事上で発表するものは手間隙かけるくせに、ブログやtwitter、メールなどはその時の閃き?で発信してしまってるような…。寝かせるところまではいかなくても、自分の発するものには気をつけなくちゃいけないな…と思いました。
気づかせてくださってありがとうございます(*^-^)

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