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2011年4月 9日 (土)

サクラの美しさについて

このブログの他に、昨年からツイッターもやっています。ツイッターとは、ミニブログです。震災があまりにショックで、しばらく呟けませんでしたが、少しずつ呟きはじめています。
今、東京のサクラは満開です。先日も、打ち合わせの帰りにあるサクラの名所を通り過ぎましたが、今年のサクラはあまり美しいとは感じませんでした。理由は心の持ちようから。
で、「今年のサクラは美しく感じない」とツイッターで呟いたら、びっくりするくらいたくさんのメールをいただきました。その多くが、「私もそう思う」という内容でした。

花見をするかしないかで様々な意見があるようですが、そんなことを政治家がとやかく言うようなことではないと思います。その判断は、国民一人一人に任せればいいのです。これがニュースになること自体、おかしい。
ちなみに、僕だったらこんな時にお酒を飲んで馬鹿騒ぎはしないかな。これだけたくさんの人が亡くなっている。子供たちもたくさん亡くなっている。やはり花見で宴会という気分にはなれません。
確か最後に花見をしたのは、19歳、サラリーマンの時です。今日までの24年間、一度も花見に誘われたことはありませんでした。フリーという生き方を続ける以上、これからも誘われることはないでしょう。
さて、明日は5時起きです。

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コメント

吉村さんは優しいですね。
宮城はまだ桜は咲いていませんが、私自身、今年の桜をどう感じるのか…

ふと見上げた空が 抜けるような青空で あぁ、きれいだな…て ふっと和んだ次の瞬間に、胸の中に閉じ込めてある悲しみが津波のように押し寄せて、空も、木々の緑も、真っ白な奥羽山脈も、大好きなマジックアワーも、みんなみんな美しければ美しい程に悲しく見える…

こんな気持ちを味わうのも人生の醍醐味っていつか自分で言ったけど、それまでの私はたぶん本当の悲しみに出会って無かったのかなと今は思う。

さぁ、ここで弱音を言わせてもらって、また明日からがんばろう。


吉村和敏様


今年の桜に対する感慨は 人それぞれ。


震災の影で
静寂の中
満開になった今年の桜
桜前線北上し
きっと
被災地の人々の
心を癒してくれるでしょう。

桜には
心を癒す力を持ってます。


私の好きな桜の名所

千鳥ヶ淵の枝垂れる様が好きです。


川面を淡いピンクの花びらで敷き詰める様が好きです。
そこを
ステッキをついた
80歳位の夫婦の後ろ姿をみた。

男性は黒い背広でステッキついて

女性は
品のある、淡い色のスーツ姿

そんなスタイルで
千鳥ヶ淵の桜を愛でていた。
無言の後ろ姿に
はらはらと桜の花びらが舞った。

素敵でした。

私も表面的なサクラの美しさを語っているわけではありません。
それこそ、そんな単純な問題とは考えていません。
私がこのツイートを見た時に感じた違和感は、正直、後半の部分にあるんです。
私は、もう生きるのが嫌になった時、とっても辛かった時に、吉村さんの写真集に出会いました。そこから言葉に出来ないような勇気をもらったんです。
ですから吉村さんご自身から、それを否定するような言葉を聞きたくなかったというのが本音かもしれません。
このブログを拝見していても辛かった時に、吉村さんの写真集に助けられたという方は多いですよね。美しい風景が、美しい作品が、個人差や状況の差はあるとしても、その人の心を癒してくれると思っています。
でも、後からよく考えると、吉村さんがサクラを見て思った感想であって、それを否定していたわけではないのかなと、むきになっていた自分を反省しています。

私も何かへんだと思っていました。桜自体が美しいか美しくないかではなく、どう感じるかを書いているのだと思います。
以前、吉村さんは、すべての風景が被写体として見えると書いていらっしゃいましたよね。ということは、今年の桜も被写体として見ているのではないですか?
写真に撮る人の気持ちを込めるということがわかった気がします。私も趣味で風景を撮りますが、今日はいい勉強になりました(*^-^)

桜の花は、綺麗で美しいです。それは誰もが分かっている事です。
吉村さんや、ツイッターに対し同意見としてメールやコメントを送った方々だってそうです。
ただ単に「今年の桜は美しいか、そうじゃないか」という話をしているのではありません。
吉村さんが書かれたように、心の持ちようで感じる、今の正直な気持ちなのです。
最近のテレビでも「桜を見て、被災地の方の心が癒されますように」といったセリフを多く聞きますが
本当に辛い状況にある人の心はそんなに単純なものではないです。
被災地ではなかったり、または被災地でも被害の少なかった人達にとって
明るさや日常を取り戻していく事は、個人としても日本経済のためにも大切と思います。
ですが「桜を見て元気を出して、希望を持って!」というような言葉よりも
吉村さんのツイッターでの一言の方が、心に染み込んできます。
私もRiekoさんと同じ気持ちです。

今朝の新聞紙上で、被災地の瓦礫の中に
さくらが咲いているのを見ました。またWEBではさくらのつぼみが一輪「一番乗!」
と誇らしげに咲いている絵がありました。
なんだかホッとしました。

現地の方は花見する余裕などないでしょうけど、もし目についたら さくらの花に
少しだけでも元気を貰ってくださいね…と
伝えたい気持ちです。

 いつもとは少し違いますが、でも・・・やはり桜をうれしく思っています。

 人間の芸術にも何らかの意図があるように、自然界の芸術にも私たちに何かを感じさせる意図があると感じています。
 感動させるものや、癒すもの、愉快にさせるものや、心を引き締めさせるもの・・・。お見舞いに人がしばしば花を届けることを見れば、花は確かに人を癒す務めも持っているのでしょう。

 悲しみには悲しみの場所があるように、喜びにも喜びの場があります。

 今年が最後の春といわれた人が『東京の夜桜』の下での宴ををひときわ強い思いで待っていたなら・・・夢よ叶えと願ってもあげたい気がします。(私は千鳥が淵の夜桜が好きです。宴は毎年たくさん開かれていますが、そこでドンちゃん騒ぎを見たことはありません。笑いはたくさんあります。人が楽しんでいる様子を見るのは楽しいです。言葉を交わさなくても、桜を喜ぶ共通の気持ちがふれあいを作っています。)

 他の人の動機を悪く解釈しない心と、いろいろな場合があるという洞察力と、間違いや弱さを許す愛があれば、状況はどうあれ、平和を保つことができ、そこから逆境に立ち向かう力や知恵も出てくるような気がします。 ・・・被災地だけでなく、ニュースでは取り上げなれない多くの人が、この災害に苦しめられていますね。事の発端である地震は、誰かが引き起こしたものではありませんでしたが、時間がたつうちに、多くの不満が人に対してぶつけられるようになっている現実があり、平和には少し影が差しています。


 父が死んだ悲しみの日、弟の葬式の日、見事な秋晴れでした。普段は雨も大好きな私ですが、それらの日には、その美しい明るい空が支えとなりました。
 
 桜の春よ・・強い愛が心のうちに本当に健全に活動するように、もっともっと力強く、私たちを慰めて・・・。

私は、桜の下でドンチャン騒ぎはあまり好きでありません・・。
yuukoさんと同意見です。
私が毎朝、通勤で通る、とある歯医者さんの前に毎日メッセージボードが置かれていて、その日によって、いろんなメッセージが書かれていていつも癒されているのですが、先日、「こんなとき、そうこんなときこそ桜に元気をもらいましょう!」とのメッセージが書かれていました。
そうだよな~って、なんか癒されました!

どんな事があっても、春は必ず訪れるのですよね!!
 

たびたび、すみませんm(_ _)m
ちょっと、今、皆さんのコメントを読んで思いました!
昨日から、ちょっとむきになっていた私ですが、まぁ、どっちでもいいんじゃないかって!
どの見解も、被災地を心配してることには変わらないわね!って思います。
私はどこの地にも、いつもと変わらない春の訪れを願っているので、そうじゃない!って、むきになっていたのかもしれません。
吉村さんは、被災地の方と同等に心を痛めてしまったのでしょうね。そこが、私とは違う繊細な心なのでしょう。
やっぱ、私は、鈍いだけかもしれません、はい(^_^;)

いつもの年は桜が満開になるのをジリジリと待ってるのに、今年は地震騒ぎで、気づいた時は満開になっていました
仕事帰りに携帯で写真撮って何人かに送ったらとても喜んでもらえたので、次の日デジカメ持参でまた撮りに行きました。
プリントアウトして会社に一枚持って行って飾ったら「こんな時だからこそいいね」と言ってくれる人も居ました。
ツラいなぁ、といつまでもみんなで落ち込んでいるよりも、出来る人から明るく過ごして行きたいです。バカ騒ぎはいかがなもんかと思いますが、悲しみで途方にくれている人を、少しでもやさしく包んであげる力が、音楽や写真にはあるはず、と思います
明日は私も、音楽好きの友達と、浅草辺りにお花見しに行ってきます

3年前からブログを読んでおりますが、初めてコメントいたします。
人は大切なものを失ったとき、花や自然を美しいと感じる心のゆとりすらありません。美しいと感じるのは、もっと後になってから、心が癒えてからです。
私は桜を見たときにお感じになった吉村さんのお気持ちがよくわかります。ありがとう。

吉村サン、東京はサクラが満開なのですね。こちらは、沿岸でようやく紅梅が、咲き始めたところです。
サクラは、あと3週間後頃に咲くのでしょうか。とても心待ちにしています。
ゆっくり、桜並木を歩きたいな。ピンクの優しい色が、たとえどんな町の状況でも 美しく彩って欲しい。皆さんの心を和ませて欲しい。と願っています。

まだ、見ていない今年のサクラについて コメントするのもどうかと思いますが、いつでも自然、植物は、一所懸命花を咲かせてくれます。
もし、例年より綺麗に感じないのは、受け取れ側の気持ち次第もあるでしょう。
それと、サクラにも地震の影響、気象の影響があるのかもしれません。
私たち人間だけでなく、声を出さない動物や植物だって、地震や津波の被害があると思うのです。
だから、「今年も咲いてくれたサクラや梅に 春を告げてくれてありがとう」と感謝したいと思います。

吉村さん。こんばんは。いつもブログ・ツイッターは拝見させて頂いております。コメントは初めてで、ちょっと緊張しますね^^;
友達に、今年はサクラは咲かないんじゃないか…って言ったんです。そんなことはあり得ないけど、気持ち的に、そんな風に感じてしまって。で、明けない夜はないし、春は絶対来るし、サクラは必ず咲く!って。当たり前の事を断言されて…初めてサクラが咲いてるのを見た時、嬉しくて泣いちゃいました。そして、美しい。と、感じました。私が22歳の時、阪神淡路大震災を経験しました。その年のサクラの記憶はありません。東北の方々が少しでも早く、心の余裕ができる日が来る事を心よりお祈り申し上げます。

私は今年の桜の花が一番美しく感じます。
周りにもそういう人は多いですよ。
花見も、馬鹿騒ぎをするだけが花見では
ありませんよね。
シートを引いて、食事をしてのどかに
花を愛でる人も多いですよ。

今日本は、自粛を通り越して萎縮になって
しまっています。このままだとは、経済が
壊滅してしまいますよね。

ブログですから私見を述べられるのも
いいと思いますが、影響力を考えられた
ほうがいいのではないでしょうか。

サクラが、一生懸命咲いているのに、あんまり綺麗じゃないなんてかわいそうに思いますが(  ̄っ ̄)!私は、綺麗だって思います!ふんっだ!いいんだ、いいんだ!すねちゃうからね!!今年が、格別綺麗ってわけでは、ありませんが…
でも、確かに、今年のサクラ、少し白っぽいような…
きっと、サクラも遠慮して咲いているんですよ…自分が華やか過ぎるから!
顔で笑って、心で泣いているってこともあると思うんだけどな…
話は変わりますが、花見ですか…私もしてないなぁ~
ドンチャン騒ぎは好きではありませんが、夜桜をゆっくり眺めるとかいいかも!
誘われないなら、私がお誘いします。来年、吉村さんの心が花見の気分だったら、いかがですか?

花見…大勢で、桜の木の下で、お酒を飲みながらのドンチャン騒ぎの宴会…私はもともと好きではありませんでした。
桜の品位が下がるような気がするのです。

桜は、満開に咲いたら本当に綺麗です。
桜の花見と称し、なぜ酒盛りをしなくちゃいないのか…私はいつもそう思ってしまっていました。
毎年精一杯咲く、命ある桜を愛でて春を実感する…日本で発祥した素晴らしい文化がいつの間にかどんちゃん騒ぎの名目になるのはやっぱり嫌いです。

桜満開の東京…桜前線北上中は確実です。
咲いた桜の花を見て、被災地の方々が少しでも心が安らげば良いなと思います。
健気に咲く花を見て、生きる希望が湧き出れば良いなと思います。

 桜の花は毎年きれいです。
感じるのは一人ひとりの感じる心。
今年の桜がいつもの年より“きれい”と感じられないのは、そんなふうに感じるまた感じなければ平常を保つ事の出来ない何かがあったからでしょう。
理由は誰もが知っている事…でしょう。

 少し世の中が落ち着くまで開花せず待っていてくれた今年の桜に感謝して、明日友人と桜道の散策に行きます。

 

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