何かを「無」から生み出すから楽しい
スイスの本作り、何でこんなにも時間がかかるのか。
それは「無」から作り出しているからです。
日本人にとってスイスはメジャーな国ですが、地方の小さな村に関しては全くと言いほど知られていない。
そんな村々を取材して、写真を撮って、文章を書いてと、思った以上に大変で、気が遠くなるような細かな作業を延々と続けています。
でもこれも、編集者さん、デザイナーさん他、色々な方々の協力があるからこそ、出来ることだと思っています。
でも今の時代、無から作り出していく本って年々少なくなっているような気がしています。
書店に行って平積みされた本を見ると、すでにある情報の寄せ集めのような本がやたらと多い。
写真がらみでは、いつかは行きたい絶景100選、のような本がたくさん並んでいますよね。
どっかから集めてきた写真(それも彩度が強い写真)を並べ、ライターさんがチャチャと文章を書き、一冊にまとめている。
今流行りの投資やNISAの本にしても、YouTubeをはじめとするSNSで活躍する人たちが喋っていることをまとめた本が多いです。
なぜなら、「数」を持っている人の本は、何もしないでも売れるからです。
昨年NISAが始まった頃、僕も何冊か買って読んでみました。
どの本もちゃんとした文章になっていますが、これ、インタビューしたものをゴーストラーターさんが文章におこしているんです。だから今まで文章を書いたことのない人でも本が出せる。
欧米の出版界は、インフルエンサーの本は形にしません。たとえば経済の分野だったら、長年研究している大学の先生とか経済ジャーナリストとかの、もっと内容の濃い本を出してくる。そしてベストセラーにする。凄いなあといつも思います。
最近は、料理の本も、写真の撮り方の本も、ほぼすべてがインフルエンサーたちの本ですね。
出版界はこれでいいのかな。また編集者の方々は、最初から売れると思う本ばかり作っていて、満足しているのでしょうか。
テレビドラマも、最近はすべてマンガが原作です。「VIVANT」のように、「無」から作り出せばいいのに、といつも思う。才能がある作家や脚本家はたくさんいるはずです。
本の世界は、最低限「著者」は必要だと思います。
その人が、何をみて、どう感じたか。そして何を考えたか。それを読者が受け止める。
日本の絶景の本だとしたら、絶対に一人の写真家に作らせるべきです。たとえすべての地を網羅していなくても、その人が考える絶景を見てみたいし、知りたいと思う。
ちなみに僕の場合だったら、日本の絶景とは、ダムとか発電所とか観覧車とか庵治石とか錦鯉とかハッピードリンクショップになります。
そんな絶景本は絶対に売れませんけど(笑)